海外展開のお手伝いをしようと大学院へ。卒業目前で…。

こんにちは、社長補佐官(R)の大久保 優子です。

お仕えしている社長が、

海外に進出する日が来ても、

変わらず右斜め後ろに寄り添い、

ご支援させていただくために日々試行錯誤し、準備をすすめています。

今回は、わたくしがなぜ、

ノースカロライナ州の海外展開アドバイザーを

担当させていただいているのか、

その経緯を少しだけ書きます。

以前、企業に勤務していた時、

海外拠点の立上げに参画していた時期があります。

中国大連市のIT特区内には、

グローバル企業が何社も入居しており、

そこに、顧客向けのサポートセンターを開設し、
日本含む(アジア地域の)お客様にサービスを提供する

というプロジェクトです。

現地には、日本語やITを専門に学んだ人材が多くいて、

その方達の力を借りて、

日本のお客様にもサービスを提供できるようにする、

というのがゴールでした。

東京と、中国(大連、上海)を2週間ごとに行ったり来たりして、

日本海を挟んで、多少離れていても

お互いが専門性を発揮して、

上手く協業できるように、

私の役目でした。

そのプロジェクトは無事、

予定期日通りに終わりました。

プロジェクトには、中国の方の他に、

シンガポール、ドイツ、オーストラリア、ヨーロッパ各国から

多様なバックグランドの人々が参画していて、

とても刺激的でした。

自分が常識として信じていたことは、

他者からみると非常識、

文字通り、常識を覆される経験の連続。

日々の驚きは、刺激的でしたし、

日本対中国という2者関係ではなく、
日本もOne of Themという多国籍チームメンバーの経験は、

日本の常識は、外に出れば、ほぼ非常式、通用しない、

という視点を持てるようになったのは

とても良かったと今も思っています。

件のプロジェクトは終わってしまい、

日本で過ごす退屈な日が続きました。

「あんな環境でまた仕事ができたらいいなぁ」

と思い、会社員を辞め、

海外展開をサポートできるような

コンサルタントを目指すことにしました。

コンサルタントといえば…。

中小企業診断士(国が認定しているコンサルタントの資格)、
ついでにMBAも取っておけばいいんじゃない?

と考え、

どうせなら、1年間集中してやってしまえ、

と大学院に入りました。

9時から23時まで、ほぼ毎日を研究室で過ごし、

中国での経験をもとにした修士論文
「海外現地法人でのスタッフ管理」も無事審査を通り、

あとは再就職先を探すだけ、

と卒業旅行に出かけました。

2011年春のことです。

応募中の企業からの連絡を待ちながら、

南の国でしばしの休暇を取っていました。

そんな時、

現地で配信されている英語圏向けのニュースで、

福島の原子力発電所の事故、

作業員さんにガイガーカウンターをかざして

計測している映像が流れてきました。

そう、3月11日の東日本大震災が起きたのです。

幸いにも飛行機は予定通り運行され成田に帰国しました。

空港に着いたら、

ヨーロッパのどこかの国から救助に駆けつけてくれたのか

30人くらいの災害救助の装備をしている部隊と救助犬が

一般の待合スペースに椅子に掛けて、

所在なさげにしていました。

彼らの様子から、入国後すでに何時間も経過しているけれど、

ホテルにチェックインもできす、

また、被災地に向かうには、交通が混乱していて、

先に進む術がなく、

待機している様に見えました。

彼らも、救助犬も、

ヨーロッパからの長距離フライトで疲れているでしょうに、

淡々と空港ロビーに待機している様子が

とても印象的でした。

国内では計画停電や余震が続いたり、

大変なことになっていました。

企業も海外進出や採用どころではなく、

その前に、

1日も早くビジネスを復旧優先モードになっていました。

被災された方のことを考えれば当然です。

今から振り返れば、

少し待ってみるという選択もあったのかもしれませんが、

当時の自分にとってはショックが大きく、

「リーマンショックから3年で、大地震か…。世の中何があるのか分からない…。」

と改めて思い知らされ、

「先に何が起こるか分からないなら、できるだけ自己で決められる仕事にしよう」と、
再就職ではなく、独立することにしました。

前回も書きましたが、

最初のクライアントさんは、食品製造業の凄腕経営者さん。

「センセイもご自分でモノを仕入れて売ってみれば少しはボクらの苦労が分かるよ…。」

と軽くダメだしされました。

それで、”モノを仕入れて売ってみる”

を少しだけやってみようと、

輸入業をしたのです。

その時にお世話になったのがノースカロライナ州の養蜂家と、農務省の方でした。

長くなったので、続きは次回に…。